日本人の危機意識

fury2005-10-31


今日は少し軽めに。


皆さんは、危機や危険といったことに関して、


どういった認識を持っているだろうか。


災害に巻き込まれたら。犯罪に巻き込まれたら。


私が見た、一つの例を紹介してみたいと思う。




ある日、私は学校に行くために電車に乗っていた。


といっても、昼間の時間帯で乗客は疎らであった。


すると、途中の駅でキャリーケースを持った、


女子大生くらいの人間が乗り込んできた。


彼女は私と通路を挟んだ席に座り、


カバンを通路に置いたのだが、


席に座るなり荷物に何らの注意を払う事も無く、


ケータイを取り出し、必死にメール。


当然、荷物は何らかの手段を講じて保持しなければ、


発車と同時に「G」が掛かり、どちらかの方向に動き出す。


何と彼女は、


アサッテの方向に荷物が転がっていくのにも気付かず、



必死にメール。




今考えれば非常に意地が悪いと自分でも思うのだが、


私はそのまま彼女の行動を観察していた。



「次の駅で人が乗車して来れば、

自然に視線がそちらに向き、気付くだろう」



敢えて何も行動を起こさなかった理由として、


そのように考えていたのもあった。


しかし、




私 が 甘 か っ た





次々乗り込んでくる乗客に見向きもせず、





必死にメール。





「…」





私は言葉を失った。


彼氏だかなんだかとメールしているのだろうが、



ケータイの画面しか見ていない。



人間の視野というものは、まあまあ広いはずだが、



そうでもないらしい。



それどころか、自分が今まさに生活をしている社会の空間を、



一顧だにしないのだ



結局心ある人が、


席の後ろにカバンを置いてくれていたのでよかったが、


私の降りたターミナル駅で人が大量に乗り込んで来るまで、


彼女はそれに気付くことが無かった。


ホームから車内で慌てふためく彼女の姿を見止めた時、



私は失笑を禁じ得なかった。



このような例は、皆さんも見かけた事は無いだろうか。


自分の身の周りで何が起こっているのかということすら、


把握できていないのである。


街でケータイの画面を見ながら歩いたり、


果ては自転車に乗りながらメールをする者までいる。


もし私が犯罪者であったら、何の苦労も無く金品を奪えるな、


と彼ら・彼女らを見ていて思うことがある。


「そんなんべつにだいじょうぶやしぃ〜」


そんな声が聞こえてきそうだが、


果たしてそうだろうか。




無法者がひったくりを敢行してきた時、


運転を誤った車が突っ込んできた時、


子供が無茶な運転をする自転車が飛び出してきた時、



周りを見ずに対処できるだろうか。



神経をいくら尖らせていても、それらは防ぎきれない。


それなのに、自分を更に不利な状況に追い込んで、


一体どうするつもりなのか。


犯罪者は、そういう人間を狙う。


辺りを注意深く見回しているような人間を誰が狙うだろうか。


自ら犯罪の標的になるような行動は、


思いがけぬ災厄を自分自身に降りかけさせることになる。


この事について、もう一つ全く逆の経験もした。




数年前、昼間の帰りに閑散とした電車に乗っていると、


斜め前にアメリカ人らしきビジネスマンが、


同じくキャリーケースを通路に置いて座っていた。


ぱっと目が合ったのだが、彼は私の姿を見た瞬間、


ごろつき、やくざ者に見えたのだろうか、


カバンの取っ手を強く握り締めた。


個人的には非常に心外な事ではあるが、


バイトの新人にも最初廊下で鉢合わせた時に、


不審者だと思われ、悲鳴を上げられた。


まあ、彼女は危機管理がなっているのだろうか。


そう思えなくも無い。


私は敢えてコメントせず、


聡明なる読者諸兄にその判断を任せたい。


話が逸れてしまったが、


不審な人間を見止めた瞬間に警戒をする、


外国人の危機意識と日本人のそれでは、


それ程までに認識が違うということである。


優秀な警察力と、


女子大生の話で出てきた名も無き乗客の例からわかるように、


最早美徳とも呼べる規範意識を持った国民性によって、


日本人の殆どは、犯罪の恐怖に曝されずに済んできた。


しかし、国際化は進む一方であり、それを止めるべきでもない。


それにつれて、我々日本人とは、


全く異なった意識を持った人間がどんどん入ってくる。


今のまま、ナアナアの意識で、


「そんなんないしぃ〜」と言っていれば、


今に身包み剥がされることになるだろう。


「歩く時ケータイを弄るのを止める」


最初はそんなことでもいい。


注意力を持って生活することを、考えてみてはどうだろうか。