第六十二段「間を用うるに五有り」


用間編の続きです。


今回は、スパイの実際的な運用法について。


これが二千年前に既に考えられていたこと自体が驚きと言わざるを得ないでしょう。


それと比較すると、現在の我が国の実態は非常に問題があるということが自ずと見えてくると言えます。




「そこで、
間諜の使用法には五種類ある。
因間があり、
内間があり、
反間があり、
死間があり、
生間がある。
これら五種の間諜が並行して諜報活動を行いながら、
互いにそれぞれが位置する情報の伝達経路を知らずにいるのは、
これを神妙な統轄法と称し、
人民を治める君主の貴ぶべき至宝なのである。
生間というのは、
繰り返し敵国に潜入しては生還して情報をもたらすものである。
因間というのは、
敵国の民間人を手づるに諜報活動をさせるものである。
内間というのは、
敵国の官吏をてづるに諜報活動をさせるものである。
反間というのは、
敵国の間諜を手づるに諜報活動をさせるものである。
死間というのは、
虚偽の軍事計画を部外で実演して見せ、
配下の間諜にその情報を告げさせておいて、
欺かれて謀略に乗ってくる敵国の出方を待ち受けるものである。」



 


この段では五種類の間諜の解説を行っている。つまり、因間、内間、反間、死間、生間である。



?「因間」
これは敵国の民間人を利用した諜報活動、現在でいう所の「現地エージェントの開拓」である。
例えば、圧政を敷く敵国の反体制グループなどを自国情報要員が利用する場合などを言う。
敵国の民主化を名目に、NPO団体構成員などを装い、対象に接近していく方法などが考えられうるであろう。
この活動では情報収集だけでなく、当該民間人を利用した世論誘導や破壊活動の煽動を通して社会不安を煽るなどの工作・謀略活動も可能である。



?「内間」
 これは敵国の政府職員、政府関係者を利用した諜報活動であり、最も精度の高い情報が得られる事もあり、情報収集活動としてはかなり有効なものであると考えられる。
閑職に追いやられた者を買収に手を染めさせ、出世願望の強い者の功名心に火を付け、その証拠をこちらが握ったならば彼はもう後戻りはできない。
金に目が無い者、女性に目が無い者の引き込みは非常に容易である。
この活動は、我が国においても数多く事例が見られる。

また、この活動においても、自国側が掌握した、対象の「弱み」を利用した工作・謀略活動が可能となる。
自国に不利となる政策決定を妨害したり、自国に有利となる政治活動を対象に行わせるものがその例としてあるだろう。
諸国間の往来が容易となった現在では、自国から諜報員を派遣せずとも、外交使節団として来訪した者をその対象とすることも可能である。



?「反間」
 これは敵国の諜報員を利用した諜報活動、いわゆる「二重スパイ」である。
これに関しても、自国から派遣した諜報員には得る事のできないような重要な情報を握った者が多いため、情報収集の手段としては非常に有効である。
これには防諜活動を実施する中で捕獲した者、敵国の待遇に不満のある者を掌握する方法があるだろう。
捕獲した者に関しては、その捕獲と情報の漏洩が露見した場合、本国に戻ったとしてもその身分保障は非常に危ういものとなるため、その秘匿を条件にこちら側のための活動に従事させる事が可能である。
待遇に不満のある者に関しては、破格の待遇によってこちらに迎え入れる事が肝要である。
第六十段にあったように、間諜に対する恩賞を惜しんで敵情把握に努めないのは、「不仁の至り」である。
その利点としてはこの活動が露見したとしても、敵国諜報員が処罰されるのみであり、自国には被害が及ばない。
但しそれは自国が関係した証拠を一切残さない事が原則であり、そうすることにより敵国のスパイ派遣を外交的問題として非難することも可能となる。
逆に注意すべき点として、敵国の意図を持って故意に二重スパイになろうとする者がいることである。
後に述べる「ディスインフォメーション」や、様々な工作・謀略活動の原因を作ることになるため、そもそも二重スパイとは「裏切り者」であるのだから、その身辺調査には万全を期す必要がある。


?「死間」
 これは虚偽の情報を敵国側に伝達する、いわゆる「ディスインフォメーション(偽情報)」である。
外交上の情報であっても、軍事上の情報であっても、利害関係国及び敵国に、自国の実情を知られることなく事を進める必要があるのは自明の理である。
国家間の国際取引を行う場合、実際は3万ドルでの妥結を目論んでいたとしても、最初からその値段を知られていれば、実際にはその値段での交渉成立は難しい。
そこで「2万ドル程度で考えているそうだ」などの情報を流しておけば、後に3万ドルという数字を提示することによってこちら側に有利な取引が可能となる。
軍事においても、自国の虚偽の戦略的欠点を故意に漏洩させることにより敵国を油断させる事が可能である。
ある地点の防備が脆弱であるとの偽情報を敵国に流し、実際は強固に布陣していたならば、戦局の推移は非常に優位である。
また、偽のテロ情報を流し治安機関の目を逸らし、本来の任務であった情報収集活動を行うといった陽動作戦としてもこの活動は有効である。
謀攻編第十三段「彼を知り己を知れば百戦危うからず」にあったように、「計略を仕組んでそれに気付かずやってくる敵を待ち受けるのは勝つ」のである。
このように、偽情報を飛び交わせることにより真実を見えなくする手法は現在でも行われている情報任務の基本中の基本であり、情報収集の手段としても、防諜活動の手段としても非常に有効である。



?「生間」
 これは敵国で情報を収集し、自国に生還し伝達する、本来の意味での「スパイ」である。
諜報活動というと主にこれが念頭に置かれるが、他者に情報を探らせるのではなく、特にその諜報要員自らの技量によって情報収集を行うことから、その育成には多大な時間と費用を要する。
しかしそれに鑑みても、この要員の活動によって、何らのフィルターを通さない、いわば「生の」情報が得られる事を考えれば、その労力は費やしても費やしすぎる事はない。
このような活動には、やはり連綿と継がれる「職人芸」の如きノウハウが必要となる。
戦後ぷっつりと途絶えてしまった我が国の諜報活動は、小手先の対応ではなく、一から構成し直す必要があるようにも感じられる。
それが「己を知り」、自己反省をした上での結論ではなかろうか。



 そして、これらの五種類のスパイが相互に作用しながら活動していく事により、複合的な効果を得る事ができる。それが引き起こす結果に関しても把握、理解するのが「君主」、即ち政策決定者の責任である。上記のような「情報戦」は、実際の戦闘行動と同様に、必ず不確定な要素が付きまとう。
そしてその要素次第では、予期せぬ結果や突発的な事態を招く可能性も十分に考えられる。
それに対し、事前に対策を練ったうえで冷静に対処できないようでは、「君主」としての資格は無いと言わざるを得ない。そしてそのような君主に忠誠を誓う諜報員は無に等しいであろう。



 また、スパイの運用法で重要な点として、
「互いにそれぞれが位置する情報の伝達経路を知らずにいるのは、これを神妙な統轄法と称し、人民を治める君主の貴ぶべき至宝なのである。」
つまり、敵国に送り込んだスパイは、各個独立して行動すべきことを述べている。
それぞれのスパイが頻繁に連絡を取り合い、複合的に動くならば、合理的な情報収集が可能となり、一面的には優れた手段であるように見えるが、その要員が一人でも捕獲されたならば、いわば芋づる式に全要員が捕獲される事態を招きかねない。
複合的にスパイ網を構築する場合であっても、その各個の位置情報や情報伝達経路については互いに知りえないようにしなければ情報収集活動そのものの破綻を招く事となる。
現代の進歩した技術が、それを容易にするであろう。
こうした運用法が「君主の貴ぶべき至宝」であるのと同様に、この文言は五つの間諜そのものを修飾する言葉でもある。
自国の利益の伸長だけでなく、自国の防衛にとっても、諜報活動というものは欠かす事のできない存在である。
そして決してその活動が表沙汰になることなく、英雄ともなり得ないにも関わらず、自らを死地に投入してまで自国のためにその任務を果たす諜報要員の自己犠牲の精神に、我々は最大限の敬意を払わねばならない。
ある者は国民のさらなる利益伸長のため、ある者は民主主義の擁護のため、それが「君主」、即ち政策決定者自らの利益のためだけに使われるのでなければ、それはまさに国家の「宝」と呼ぶことができよう。
軍事・情報機関が弱体化していく原因は、政策決定者がその機関を自らの為だけに使い始めるところから始まるのである。


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