第十段「上兵は謀を伐つ」


本日も孫子の続きを。

「そこで軍事力の最高の運用法は、敵の策謀を未然に打ち破ることであり、その次は敵国と友好国との同盟関係を断ち切ることであり、その次は敵の野戦軍を撃破することであり、最も拙劣なのは敵の城邑を攻撃することである。城を攻囲する原則としては、櫓や城門へ寄せる装甲車を整備し、攻城用の機械装置を完備する作業は、三ヶ月もしてやっと終了し、攻撃陣地を築く土木作業も、同様に三ヶ月かかってやっと完了するのである。将軍が怒りの感情をこらえきれず、攻撃態勢の完了を待たずに、兵士達に一斉に城壁をよじ登って攻撃するよう命じ、兵員の三分の一を戦死させても一向に城が落ちないという結果に終わるのは、これぞ城攻めがもたらす災厄である。
 それゆえ軍事力の運用に巧妙な者は、敵の軍隊を屈服させても、決して戦闘によったのではなく、敵の城邑を陥落させても、決して攻城戦によったのではなく、敵国を撃破しても、決して長期戦によったのではない。必ず敵の国土や戦力を保全したまま勝利するやり方で、天下に国益を争うのであって、そうするからこそ、軍も疲弊せずに、軍事力の運用によって得られる利益を完全なものとできる。これこそが、策謀で敵を攻略する原則なのである。」



 この段でも同様に、「戦争」と「戦闘」は分離して検討されている。クラウゼビッツの言葉にあるように、「戦争は政治の延長である」。敵国に謀略活動を実行すること、及び敵国が自国に攻め込もうとする為に実行する様々な行動を未然に防止することから「戦争」は始まっている、とここでは述べられている。つまり、外交の段階における敵国に対する情報活動、及び国内の防諜活動が先ず念頭に置かれる。



例えば、敵国(A)が自国(B)の国際的評価を貶めたり、国際的又は地域的に(B)を孤立させたりするような外交活動を行うことが考えられる。それは歴史的観点からの誹謗中傷であったり、殊更に軍事的膨張を騒ぎ立てるような活動であるかもしれない。そういった外交活動を後押しするのが(B)国内の世論である。その世論を(A)に有利なように仕向ければ、自ずと(B)の国力は弱まり、その軍事力の発動を不可能にすることも容易となる。前記の「民間防衛」の記述にあるように、社会的に有力な立場の人間を(A)側に有利なように抱き込めば、(B)国内の民衆の世論を誘導する事はいとも簡単である。



その例として、(B)国内のテレビ・新聞などの大メディアが連日のように(A)に有利な報道を行い、そして(A)に同調した議員が(A)に有利な立法活動を行い、教職者が(B)国内の独立心を削ぐような教育を施し、行政機関内の(A)同調者が戦略的情報を漏洩するなど背信的行為を行うことを考えれば、それは想像に難くない。こういった「内なる崩壊」を巧妙な宣伝活動によって促すことにより、長きに渡る全面戦争を経ずして(B)の併呑すら可能となる。そういった活動から自国を守るのも「戦争」の一形態であり、そういった活動を敵国に実施する事により自国の利益を伸張するのも「戦争」の一形態である。これらの活動を行うのに有効な手立てを持たない国家は、その時点で敗北の前段階にいるのではないかと考えられる。



このような外交的謀略活動のほかに、敵国とその友好国との同盟関係を断ち切ることが述べられている。自国が戦争を仕掛けようとしている場合、または仕掛けられようとしている場合に、敵国がある国家と同盟関係を有しているならば、その二国を同時に相手にしようとするのは明らかに愚策である。特にその同盟関係を頼りに自国への戦争を意図している場合であれば、その同盟関係を絶つことができれば、直接的な戦闘を経ずして自国を防衛する事が可能となる。また、同盟関係を頼みとして自国防衛を行っている国に侵攻する場合、その同盟関係を離間させることによって、より少ない戦力での撃破が可能となる。



こういった活動の次に野戦軍との戦闘を行い、その後に攻城戦をすべき事が述べられている事に鑑みて、この段では戦争においては戦力をできる限り行使せずに敵を屈服させるべき事が述べられている。上記のように、敵国との全面戦争を経て、自軍に多大な損害を出した上で敵国を焦土化したとしても、そこから得られる利益は限りなく少ない。



そこで、「戦わずして」敵を屈服させるために謀略活動を用いるべきことが述べられている。但し重要な点として、そのような活動の裏づけとして軍事力が必要なのは自明の事柄である。戦力が脆弱である事を敵国に見透かされた状態でこのような活動を行ったとしても、単に小手先のものとしか見なされず、大きな効果を発する事はない。敵国との全面戦争を覚悟しながら、それを回避するために様々な方策を尽くす一環として、これらの間接的な手法が用いられなければならない。



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